「腹減ったな、ウーバーでも頼むか」
「そういえば風呂入ってねえな」
「うわ、パジャマに穴空いてる」
「もはや、一生寝てたい」
「………」
とある日、ただいま深夜の23時50分、ナメクジのように寝そべりながら、私はどうしようもないクソみたいな気分に陥っていた。
くたばった鳥、もとい引きこもり人間。それが私、にしむらである。面倒くさがり屋で普段は全く外に出ず、家で細々とイラストや漫画を描く仕事をしている。
「このままじゃ本当にナメクジになっちゃう……美少年でも描いて気分を上げようかな? ああでも今日はやる気がない……」
こんな時は寝転がったままできる大好きな妄想だ。
頭の中にはいつも素敵な世界が広がっている、現実では難しいことでも妄想の中ならなんでも叶えられるし、何にでもなれた。
今日は何になろうかな? 美少年に囲まれる? いやいや魔法少女になって……それは前にも妄想したしな……ん~~~~~~~~~~。
「なんか面白いこと起きないかな……」
そんな時、机の片隅に置いてある「KAITO」のグッズが目に入った。私が学生の頃から10年以上推しているキャラクターだ。
KAITOとは
クリプトン・フューチャー・メディア株式会社より2006年にリリースされた、男性バーチャルシンガー。ヤマハの音声合成システム「VOCALOID」を採用しており、日本語ボーカロイドでは初の男性型となる。ちなみに好物はアイス。
KAITOとは10年以上前の学生の時に、友達に貸してもらったゲームで出会った。
3Dキャラクターが登場するゲームで、青い髪の毛がフワッと流れ、長い脚で踊るKAITOがとてもかっこよくて、私は一気に夢中になった。
時はまさにボカロ全盛期の時代である。たくさんのアーティストによってKAITOの歌う楽曲がつくられた。また、KAITOは公式のイラスト以外にも、さまざまな媒体で、さまざまなイラストレーターによって描かれた。曲によって、イラストによって表情を変えるKAITO。私はさらに夢中になった。
公式の見た目はすらっとしたお兄さんなのに、かわいくなったり、かっこよくなったり、王子になったり、面白いキャラクターになったり……。
私は毎日ゲームや動画サイトを通じて、色んなKAITOに会いに行っていた。
というか、本音をいうと毎回私から会いに行ってるのだから、一度くらい向こうから会いに来てくれて、一緒に生活するなんてことが起こってほしい。
……夢でも見ない限り無理だけど。
ガタン……!
……
気のせいではない!!!!
うぇえええ!!!? どうやって入って来たんですか!!!!??? 警察呼びますよ!! ……というか
奇麗な青い髪、青い瞳、特徴的なマフラー。
KAITOにめちゃくちゃそっくりでは!!!!?????
ええっ、あ、はいっ! そうですっ!
僕、KAITOって言います!
……うぇええ? いやそれはさすがに
あの……僕どうしてここにいるのか、わからないんです……。本当にいつの間にかここにいて。すぐに出ていきますので……
彼は押し入れを開いた。
あれ…? ここから来たはずなんだけど……
押し入れから来たんですか……?????
はい、そういえばあの場所に着いたら……
KAITOとそっくりな彼が説明してくれた内容は、私が聞いたことがない世界から来たという話だった。
(そんな世界、ここには存在しないぞ……)
……
……あの、急にすみません、●●●って曲、知ってますか?
あ、はい
! あの……歌って見てもらってもいいですか……?
ええ!? はい……!
その歌声はまさに学生時代から何度も聞いていたものだった。
(まさか本当にKAITO……)
10年以上推している推しが目の前にいるのか……? 何これ、いま流行りの「異世界モノ」か???
……あの、すぐに出ていきますので
ま、待って!
……押し入れから来たんだよね? いつの間にかここにいたんだよね?
はい、そうです…
じゃあ、もしかしたら君が元の場所に帰るためには、押し入れを使わないといけないのかもって思って
なるほど……。でもさっき開いたらなんの変哲もない押し入れで……
すぐには帰れないってことなのかな……。何が起こったのかわからないけど、帰れるようになるまでここに住んでいいから。部屋も余ってるし
なにがどうなってるのかわからないけど、「推しと一緒に生活するなんて夢みたいなこと」が実現するのかもしれない。このまま出て行かせるわけにはいかない……!!
必死に説得するにしむら、だいぶ気持ち悪い。
いやそんな、でも
いや、いいっていいって
でも……
いいって……
ぐうぅ~~~~~(腹の音)
す……すみません
あ、いえ……
唐突なお腹の音に緊迫した雰囲気が少し和らいだ。っていうかKAITOってお腹空くんだ……。申し訳なさそうな彼の顔を見ているうちに、私も小腹が減っていたことに気づく。
私もお腹空いちゃいました、良かったら夜食を一緒に食べませんか?
……ありがとうございます、そういえば、あなたのお名前はなんというのでしょうか?
あ、にしむ……
いや、『みう』といいます
どおおおおおおおおおおおおえええええええええええ!!!!!!
死んでまーーーーーっ!!!
やばいぞ私。
ナメクジになっている場合ではない。
夜食を作ろうと冷蔵庫に立ったが、スカスカであった。
すみません本当にすみません、ギリギリうどんは作れそうです、うどん食べられますか?
あ、食べられます
食べられるんだ……じゃない、すみません、大したもの出せなくて本当にすみません
ギリィ…
せめて、KAITOが好きなアイスがあれば……。っていうか、推しの好物であるアイスくらい常時、ストックしておけ、このナメクジ野郎! 私は歯噛みした。
大丈夫ですか?
かなりシンプルなうどんができた。
ずるずる……。美味しいです!
うっ……
推しが私の作った物を食べている……。いざという時にこんな貧相なメニューしか出せないなら、毎日自炊するべきだった……。もっと、凝ったものを作ってあげたかった……。
うどんをすするKAITOを見ながら、あとで料理本をポチることを決意した。
ごちそうさまでした
……あのさっきのお話の続きですが、少しだけこの家に居候させてもらってもいいでしょうか……?
あ、是非……! 私は大丈夫ですので……!
そろそろ夜も遅いですし……
あ、そうですね! 服、用意します
いや、服はこのままで……!
いやいや、その服じゃ寝にくいですよ! めちゃくちゃ洗った服なので大丈夫ですので!
KAITOって寝るんだ……。慌ててタンスから服を引っ張り出すが、着倒してボロボロのパジャマしかなかった。こんな見た目で「めちゃくちゃ洗った服」って何だよ……。
これでも私の持っていたパジャマの中で一番奇麗なものであった。
推しが……ボロボロのパジャマを……。こんなことになるなら……こんなことになるなら……!
奇麗なパジャマを買っておくべきだった……!! 日ごろから生活や自分に気を使っておくべきだった……!!!
私は最速で即日配達のパジャマと、ついでに私の服もポチった。
もちろん料理本も忘れずに。
では、私は別の部屋にいるので、何かあったら呼んでください
ありがとうございます、ではおやすみなさい
あ…おやすみ……な……さい
この日、私は徹夜した。
推しが押し入れから現れた衝撃の夜。あれから、一週間ほどたった。
最初は私もKAITOも戸惑っていたけど、今は慣れてきたみたいでKAITOも楽しそうにしている。
(元々二次元だし、ボーカロイドのはずなんだけど、そこにいる推しは一緒のご飯を食べるし、夜は眠るし、三次元の私と何も変わらないんだなぁ……)
日頃、KAITOはボーカロイドだからかよく歌っている。
私は隣の部屋から聞こえてくる歌を聴きながら仕事を……。
みうさん、みうさん
!? はいはい~、どうしたの?
電子ピアノを勝手に使わせてもらったんですが、僕、歌を作ったんです、よかったら聴いてくれませんか?
いいの?! 是非
ほこりをかぶっていたピアノが輝いて見えた。
うっ、うっ
大丈夫ですか!?
素敵な歌すぎて泣いた。
こんな極上の体験を私だけが味わってるの、ほかのKAITOファンの皆様に申し訳ない……贅沢すぎる……!
そういえば実は私が学生だった頃、ゲームのVR機能を使ってKAITOと写真を撮ったことがあった。
あのころはどうしてもKAITOと写真が撮りたくて、友達に手伝ってもらったんだったけ……。
この頃はお互い学生(KAITOが学生のコスチューム着ている為)だったね、えへへ。
撮りたいな……。
せっかく目の前にKAITOがいるんだから。
でも、いやいや、今はKAITOはただの二次元のキャラクターじゃなくて、目の前に実在してるんだから、撮りたいだなんてわがまま……でも~~~~~。
KAITOさん……
はい?
せっかくなんで、写真でも撮りませんか……? なんかこうやってハイタッチするみたいな感じで……(ポーズ取りながら説明)
いいですよ! 撮りましょう!
(!!!!)
10年越しに叶ったよ。
うっ、うっ、ありがとうございます、生きてて良かったです……うっ
よ、よかったです
これが幸せか、一生続け。
二人でKAITOの好きなアイスを作ったりもした。
推しというのは、いつもいつも私に幸せを与えてくれる。
でも……私は推しになにか与えられているのだろうか?
(せっかく会えたんだから何かしてあげたいな……。何ができるだろうか?)
この日の夜、KAITOが寂しそうに押し入れを開けていたことに気が付く。
押し入れ、変わらないね
……そうですね
……
本当に帰れるんでしょうか
え?
……ちょっと不安になってしまって
押し入れから来たんでしょ、じゃあ押し入れから帰れるよ、大丈夫
不安と寂しさが混ざり合ったようなKAITOの顔にハッとする。私は大事なことを忘れてた。
KAITOはこの世界の住人ではなく、違う世界から来たんだ。その孤独は想像できないほどだろう。
そりゃ帰りたいし、不安に決まっている。
(私、ちょっと浮かれてたな……)
そうだ、改めて押し入れを調べてみよう。
何か手がかりが見つかるかもしれない。
KAITOが自分の部屋に戻った後、私は押し入れを調べた。
ん~、調べても特に変わったものはないな……。めちゃくちゃ散らかってるし……ん?
奥底から学生時代に描いたKAITOのイラストが出てきた。
懐かしいな……。イラストを描いてサイトに上げてたけど、もう消しちゃったんだよね、ずーっとここにあったのかな
ちょうどこの時期にKAITOを推すようになったんだよね
青い髪の毛がフワッと流れ、長い脚で優雅に踊る、ゲームの中のKAITOがとてもかっこよくて……そういえば、この世界に来てから一度もKAITOが踊っているところを見たことがない。
いや当たり前か、踊る場所なんてないし
なら作ってみよう、KAITOがちょっとだけでも元気になれるかもしれない!
色々買いに行って作ってみた手作りステージ。
……出来た、う~ん、もっと凝りたいけど……
みうさん?
!
それは……?
簡易的だけどステージを作ってみたの、KAITOさん歌うの好きでしょ? 良かったらここで踊って歌ってみない?
!!はい……!
よかった、じゃあ準備しようか!
着替えたKAITO、音楽を準備。
なに歌う?
あ、じゃあ……
いいね! その曲めちゃくちゃ好き! じゃあ音楽流すよ
KAITOは今までに見たことがないくらい笑顔だった。
そうだ、私が好きになったKAITOは歌って踊ってこそだった、そこに惹かれたのだから!
パチパチパチ!!
もう一曲歌ってもいいですか…!
是非……! いくらでも……! ねえ、録画してもいい……?
はい!
この日、私たちは大盛り上がりだった。
明日も歌わせてあげたい……そう思ったが、音量が大きすぎたのかはしゃぎすぎたのか、近所の人から少し苦情がきてしまった。
……
深夜、今日の録画したKAITOのステージを見て思った。
この世界じゃ、思うがままに歌わせてあげるのは難しいかもしれない…。でもKAITOが元の世界に帰ったら、もう二度と会えないだろうな
寂しいし、夢みたいなことが起こって出会えたのだから、もはや一生住んでほしい。
せっかく名前も呼んでもらえて、一緒にご飯も食べて、私の前で歌ってくれて、仲良くなれてきたのに。
……現実なんて見ないでずっと夢を見てたい。
考えなきゃいけないことを放っておいた。
明日また考えればいいや
その時、ふとKAITOのあの表情を思い出した。
今、もしかしたらKAITOは悲しんでいるのかもしれない……!
馬鹿野郎自分、推しにいつも幸せを与えてもらっていた私が、推しを幸せにしないでどうする!!!!
やっぱり元の世界に帰らせてあげたい……! 元の世界でいっぱい歌って踊ってほしい! 推しには笑顔でいてほしい!!!!!!!!
そう願った瞬間、押し入れが今日のステージみたいに光った……! もしかして今なら……!!!!
KAITO! 起きて……!!! 今なら元の世界に帰れるよ!!
え!?
……みうさん
何も言わなくていいよKAITO。帰りな、元の世界に
……でも
いいのいいの
服を着替え、いつもの姿になったKAITO。
元気でね
……
風邪、ひかないようにね
その、楽しかったです、ありがとうございました
……そんな! 私の方こそ……!
一生出会えるはずのない推しと出会って、一緒に暮らすなんてそんな夢みたいなことができるなんて。
いつも推しから生きる活力をもらっているけど、今回は一緒に暮らせてさらにパワーをもらいっぱなしで、私がしてあげられることなんて何もないんじゃないかって思ってしまう。
ううん、推しにパワーをもらったらめちゃくちゃ使って、めちゃくちゃ元気に生きてやるのがせめてもの推しへのお返しかもしれない……!
そんなことを思っている間に、この前撮った、ハイタッチした写真みたいに二人で手を合わせた。
そして推しは向こうの世界へと戻り、不思議な出会いを与えてくれた押し入れは、元の押し入れへと戻ったのだったーーーーー。
パチっ
……え
夢!?????
こんなことある……?
……あれも夢だったのか……。そりゃそうか……
ただいま24時00分、私は夢を思い返してみた。どうやら、深夜のテンションで妄想がむくむく膨らむうちに、そのまま寝落ちしてしまったようだ。夢にまで妄想を引きずってしまったらしい。
夢に出てきたKAITOはきっと私の理想とするKAITOだったんだと思う。
曲によって色んな表情を変えるKAITOだからこそ、私の夢の通りに表情を変えてくれたのかもしれないなぁ、なんて。
いろんな作品に触れていたら新しい推しにだって出会える。それに夢中になることもあるだろう。けれど、ずっと今まで培ってきた推しとの思い出は簡単には消えない。
キャラクターの画像を見ただけで、あの頃グッズ買いに行ったな、イベント行くまでに迷ったな、課金しちゃったな……と、色んな思い出がどんどん浮かんでくるから。
きっと私はKAITOをゲームや動画や画像、グッズで見かけるたびに、今回経験した夢を一生思い出すんだろうな。
ふとスマホを確認すると、見慣れない動画があった。
あれ……これ、さっきの……!
(おわり)
この作品はピアプロ・キャラクター・ライセンスに基づいてクリプトン・フューチャー・メディア株式会社のキャラクター「KAITO」を描いたものです。
……